2.大崎は変わりつつあります
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1)大崎のはじまり

 江戸時代の大崎は、目黒川を望む高台の御殿山や島津山には大名屋敷が立ち、目黒川周辺は水田が広がる農村地帯だった。
 1901年(明治34年)に大崎駅が開業。これを機に、目黒川沿岸には水力・水運を求めて工場が立ち始めるようになった。これが工業のまち大崎のはじまりである。

 さらに大正・昭和の時代になると、工場の集積とともに近代工業地帯へと変わり、戦後も工場が増え続け、大崎から最先端の電化製品などが開発されていった。 現在も、世界に名だたる大企業や、高い技術を誇る企業が多数立地する大崎であるが、昭和50年代に入ると工場の転出がはじまり、跡地にマンションやオフィスビルが計画されるなど土地利用の転換動向が活発化し、そうした乱開発に対する危機感から、まちづくりの動きが出てきたのもこの時期からである。

 
2)新しい大崎のスタート
 東京の副都心構想(昭和57年)を背景に大崎がまず変化を始めたのが、「大崎ニューシティ」の竣工(昭和62年)。そして「ゲートシティ大崎」の竣工(平成11年)。大崎駅の東西をつなぐ連絡デッキ「夢さん橋」の完成をもって、新しい大崎が姿を見せ始めることとなった。

 その後、都市再生への大きな時代変化の中、平成14年に大崎駅周辺地域が都市再生緊急整備地域に指定され、それまでのまちづくりの成果を踏まえ、現在、地域全体の取り組みとして、調和のとれたまちづくりが進められている。
 右上図の中で、

既成市街地でこれほど集中的に開発が進み、大きく変わろうとしているまちは大崎以外にないのではないだろうか。

大崎駅周辺開発動向

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